前回の記事では、次のようなことをお伝えしました。
■『無償の愛』を与えることができるのは、まだ母親として未熟な『自分』ではなく、『我が子』と気づいた。
■どんなに親として失敗を繰り返してしまっても、「母親である」というだけで、我が子が自分に向け続けてくれる、純粋な承認・信頼を『無償の愛』として受け取れるようになると、気持ちが驚くほど軽く、暖かくなって、母親である自分への嫌悪感が、自分へのエールに代わってくれた。
今回の記事では、次のことを具体的な私の経験から、お伝えしたいと思っています。
■親としての失敗を悔いたり、恥じたりするよりも、我が子からの『無償の愛』に報いるべく、我が子によりふさわしい母親、より良い母親へと成長したい、という気持ちが芽生えた。
■『より良い母親』とは何か、という答えを探し、発見した。
これらを通して、今の私は、母親としてダメな部分が出てしまう自分への自己嫌悪を減らし、代わりに、母親としての成長の余地があることを喜び、自分に期待しながら、楽しくワクワクした気持ちで日々過ごすせることが多くなりました!
前回の記事の通り、以前の私は、仕事からくるストレスを子どもとの関りに持ち込んでしまい、子どもに対してイライラをぶつけてしまうことで、自己嫌悪を抱え、更にストレスを増していく、
という絵にかいたような悪循環の中で、子どもにも自分にもやさしくない生活をしていました。
でも『母親である自分の役目は、子どもの成長を助けることだけではない。
子どもから向けられる「無償の愛:純粋な信頼・承認」に助けられながら、母親として成長することでもある』
と気づくことができました。
この気づきによって、私は『今はまだ母親として未熟な自分』がいることを「それでいいんだ」と受け入れることができたように思います。
そこから『がんばれ~自分!』という気持ちで、『母親として成長すること』って一体自分と子どもたちにとってどんなことなのか、を真剣に考えるようになりました。
親としての失敗を悔いたり、恥じたりするよりも、我が子からの『無償の愛』に報いるべく、我が子によりふさわしい母親、より良い母親へと成長したい、
という気持ちが芽生たわけです。
その間も、前回の記事での状況の中、当時の私にはよく起こっていたように、子どもが悪い事や危険な事をしてしまったがために「怒る」「叱る」のではなく、
仕事から来るイライラを「八つ当たり」として「しつけ」の名の下、必要以上に「怒る」ことで子どもにぶつけてしまっていました。
『母親として成長すること』の必要性に気づけたからといって、こうした状態は当然、すぐに無くなる訳ではありませんでした。
いい、悪いは別として、変化したのは、
怒ってしまった後、私は度々子どもに「怒りすぎて、怖い言い方してごめんね」と言っていたということです。
子どもたちは、いつも私をハグして許してくれました。「いいよ」「僕もごめんね」って。
そしてその度に、私は心の中でこう思っていました。
『謝ったって、子どものためにはならないのに』『謝るくらいなら、ここまで激しい口調で怒らなければいいのに』『自分の罪悪感を軽くするために謝ったって、しょうがない』『でも、じゃぁ、どうしたらこんなしょうもない母親としての自分の行動を変えられるの?』
『母親として成長すること』が、私自身と子どもたちにとって「どういうことなのか」「どういうことであったら幸せなのか」、答えが出ないまましばらく過ごしていました。
『母親としての成長』について考えるようになって半年ほど経ったころでしょうか、『より良い母親』とは何か、という答えをようやく見つけたんです。
『母親として成長すること』
↓
『より良い母親になる』
↓
母親である自分自身が好きな『自分』になる
↓
自分自身がずっと好きでいられる『自分』でいる
というものです。
なんでそれが「答え」になったのか。
それは次のような出来事がきっかけになったからでした。
残念ながらいつものように「子どもの粗相(そそう)を必要以上に責めた」あと、私は夕飯の支度をしていて、子どもたちは、側で子ども向けの動画を見ていました。
キッチンに立つとき、私はよく小さな音でラジオを付けているんですが、内容は全く覚えていませんが、思わず『アッハッハ』と一瞬笑ってしまったんです。
動画を見ている子どもたちは、いつもなら何か話しかけても、動画に夢中になっているので、上の空で答えるか、何度も話しかけないと返事をしてくれませんが、
この時は違いました。
『なにっ!』『なにがおもしろいの!?』って動画から目を離して、私のところにわざわざ寄ってきたんです。
その時の子どもたちの表情は、すごくキラッキラして、ワクワクしているものでした。
そんな子どもたちを見て、子どもたちに気付いて、まさに『ハッ』としたんです!
子どもたちは、私が笑いをこらえきれなかった内容に対してではなく、母親である私が『楽しそうに笑っていたこと』に対して、こんなにも興味を持って、ワクワクするんだなぁって。
子どもが与えてくれる『無償の愛』の姿にまた一つ、気づけた瞬間でした。
子どもって、どんな小さなことでも、たとえ理解できなくても、親が「おもしろい!」「楽しい!」「嬉しい!」って感じて笑顔でいるだけで、そのことに、興味津々で、一緒に楽しもうとするんだなぁって。
だから、私が母親としてできる事、するべきことは、
自分が好きでいられる『自分』になる/でいること
それが、自分らしい『良い母親』になる一番の近道だ!
という答えが出たんです。
私自身が『自分』の生活を楽しむようにして過ごせば、それは子どもたちが『大好きだからこそ笑っていてほしい母親』の姿そのものになるんだって。
大好きな母親が笑って、楽しんでいてくれたら、子どもは、強烈な興味を持って、同じ体験をしたいと感じ、子ども自身の関心も、自然と自分でどんどん外に広げていくことができるんだって。
だから、子どもに色々なことに興味を持ってもらい、経験してもらいたいと願うなら、
ただ、モノや情報を与えたり、特別な場所へ連れて行ったりすることよりも、
日々の生活の中で、母親自身が日常に楽しいモノ、出来事、経験があることを身をもって示すことの方が、
子どもにとってはずっとずっと強烈で信頼できるメッセージになるんだって。
当時の私は、自分が望む『母親像』と『社会人像』を両立させることができずにいたので、『自分自身が好きな自分』ではありませんでした。
母親として「あれも経験させたい」「これも見せてやりたい」「どこどこに連れて行ってあげたい」。。。きりがないくらいに色々と希望を持ってました。
それには、「時間」と「お金」が必要です。
幸い、仕事をすることは大好きで、母親という役割を与えられても社会人としての役割も持ち続けたいと考えていたので、仕事を続けていて、金銭面で困ることはありませんでした。
でも、
『もっと子どもとの時間を取りたい』と思う自分がいるのに、
『仕事をする以上は、育児を理由に業務に遅れや穴をあけることは絶対にしたくない』という社会人としての意地や見栄も持っていたので、
当時の私の仕事のスタイルでは、
そうした私が理想とする『母親像』と『社会人像』とのバランスが常に不安定で、どちらかが満たされても必ず片方が満たされない、
という常に自分が『好きな自分』になれていない、という悲惨な状況だったんです。
だから私は、自分の中の「母親」「社会人」としての役割のバランスを見直して調整することにしました。
その結果は。。。
<少なくとも週1回の頻度から月2~3回の、自己嫌悪に頻度が下がった(子どもたち:6歳、4歳)>
【 当時の私の状況概要 】
●仕事を完全在宅勤務、勤務時間調整を完全に自己管理できる仕事に従事。(一日平均3時間、土日祝日関係なくほぼ月毎日)
●日々、ほぼ計画通りに家事を済ませることができる。
●主人への「教育」、時々「喧嘩」(笑)の成果も出ていて、年々夫婦としてのコンビネーションパフォーマンスが高まっている。
※うまい具合に家事・育児の分担が機能している♪
●実家・義実家・義親族・義姉という四方面で、重複もしくは連続した厄介ごとが発生し始め、パラパラと継続中⤵。
※こうした親族関連のゴタゴタは、多かれ少なかれどこの家庭でもありますよね(>_<)
母親としての自己嫌悪が週1から月2,3回の頻度までって、かなり下がりましたね!
以前より、ずっと自分自身のことが好きになれているし、日々の子どもたちの興味・関心事にも気づき、一緒に調べたり、探したり、やってみたりする機会が増えました。
私自身がその機会を楽しみ、そういう自分で居られていることに、心から感謝できています。
例えば。。。
・週末のランチメニューでは、子どもたちからのリクエストに応えられる頻度がグッと高くなった。
・子どもたちからの、お手伝いとしてキッチンに立ちたいという面倒な(苦笑)でも、見逃してはいけない要望を、受け入れられる頻度がグッと高くなった。
・誕生日や季節の行事などで、ケーキやデザートを作り、子どもが楽しめそうな簡単な作業を一緒にして楽しむことができる頻度がグッと高くなった。
・天気のいい日には、庭で、思い付きで「プチBBQ」をしたり、小さな簡易テントを出して子どもたちと遊べる頻度がグッと高くなった。
・子どもたちから投げかけられる、色々な事への疑問を、適当な返事で流すんじゃなく、一緒に調べたり、調べるための本を用意できる、余裕が出てきた。
本当に小さな事だけど、気持ちがとてもあったかく、満たされる機会が増え、自分の『母親としての成長』を、すこ~しずつ、感じています(*^^*)
★★『良い母親』への第一歩:気づきから行動へ ~まとめ~★★
『良い母親』
それは、
・母親として未熟な、ダメな部分があることを分かっている。
そして、
・そのことを反省するけれど、子どもに謝ったり、自己嫌悪を持ち続けることではダメな部分を解消するための成長はできないと知っている。
一番の近道は、
・我が子が自分に向け続けてくれる、純粋な承認・信頼は、『無償の愛』に気づくことで、自分の失敗を受け入れ、自分が成長できることを信じること。
・母親として必要な成長は、子どもが純粋に求めている『大好きだからこそ笑っていてほしい母親』の姿を示すこと。
つまり、
・母親である自分自身が『好きになれる自分』になって、ずっと好きでいられる自分でいること。
※2021年3月 記
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