やっとわかった!家族の繋がり、家族になる意味~食事=他人⇔家族~

元気充電!
■1.『家族』という存在:ありがたい⇔厄介
■2.なぜ? どうやって? 個々の『人』が家族になる、家族として繋がる
■3.個々の他人同士を繋げる、家族を繋げ続ける、ものって何?
■4.家族になる/でいる 意味って何?
■5.まとめ

■1.『家族』という存在:ありがたい⇔厄介

『家族』ってありがたかったり、厄介だったり、、、時々で自分の心がものすごく揺さぶられる存在じゃないですか?
きっと私だけじゃなく、大人になると特に誰にでも覚えがある感覚なんだと思うんですが。

『家族』と一言で言っても、実家のような『与えられた元々の家族』、『他人からカップル/夫婦という新たに築く家族』、そこに子どもが加わる『より大きな家族』、『義実家』というように、色々な概念がありますよね。

どんな『家族』にしても、それぞれの『家族』との距離感(親密性)って、『個の自分』が、自身や家族のライフステージ(人生の変化/段階)に応じて、(意識しようとしまいと)調整・変化していくものだと思うんです。

密になっていったり、疎になっていったり、、、密と疎の間で関係性の濃度を変化させながら、もしくは自然と変化していきながら、繋がり続けたり、新たに繋がったり、、、
『家族』って、その中で、ありがたい存在にもなるし、厄介な存在にもなってしまうんですよね。。。
少なくとも私にはそうでした。

例えば、私が家族を厄介な存在だと感じてしまった時は何度かあります。
●義実家が金銭管理を全くできていない生活を送っていて、年金生活者にも拘らず、医療保険もほぼ入っていないような状況だと分かった時
●身体・精神に障害を持ち、人の手がないと生活できない義姉の障害年金がほぼ使われ切ってしまっていて、かつ、義両親亡き後/義両親が介助できなくなった時の義姉の行先(施設)に関して、決まっていると言っていたものが実は何も決まっていなかったと分かった時
●天涯孤独でほぼ盲目になりつつある義叔父も金銭管理が全くできておらず、老後の生活の計画もない、たくさんいる兄弟姉妹は義父も含め、誰もその義叔父をサポートする気はないと分かった時
●実の父が脳梗塞後に人格が変わり、母一人では手に負えなくなり、もう両親だけでは自宅で生活できない=同居してサポートするしかないと悟った時
などなど。。。

 

何が『家族』を繋いだり、『家族』にしていくのか、そこに何の意味があるのか、、、実家の父が脳梗塞から退院した約7年前から時折考え初め、つい最近のあることをきっかけに、真剣に深く考えるようになっていました。

「つい最近のあること」を短く表現すると、『今まで40数年生きてきて、その内後半の20数年間抱え増幅してきた実家という「家族」に対するモヤモヤ・苛立ち・嫌悪感が一気に噴出するほどの衝突を母とした』ということです。

それはそれはカオスでした。お互いに泣きながら、互いの正義をかざして、互いに自分の考えが間違っていないことを主張し、互いに相手がおかしいと批判し合う訳です。
どこまでいっても平行線の衝突です。

でも当の本人である私はその衝突中には、『平行線でしかない=終わることがない衝突』であると気づかず、ひたすら自分の主張をし、母を批判することで、恐ろしい程に心のエネルギーを消耗してしまいました。

あんなに大事に想い、慕っていた母を『もう家族として関わることすらできない人=私の時間・エネルギーを吸い取ってかつ、私を傷つけていることも分からない人』になってしまったと思う程の、間違いなく私史上、最大の消耗でした。

私は心理カウンセリングを生業にしていた時期もあり、勉強・訓練を含めてかなり濃密に取り組んだので、それなりに自分の事でも客観的に眺めて、大抵の日常的な心にかかってくる不快・負担に対処することが出来ていたんです。。。

が、今回ばかりは手詰まりで、母との衝突での気持ちの消耗を癒したり、解消したりすることが一人ではできないと直ぐに感じるほどでした。

信頼する知人経由でお知り合いになっていた先生に、連絡し、カウンセリングしてもらった訳ですが、そのカウンセリングを受けるまでの約2週間は、ほんっっっっと~~に、心がしんどかった。

今まで大事な家族だと思っていた母を、結婚してから何の頼りがいもない兄(母から見て息子)をいつまでも守ってやる立場にいないといけない母を、つい最近在宅介護の限界から、父(母から見て夫)を施設へ送らねばならなかった母を、、、

私までもが、『一緒にいられない/いたくない』『もう勝手に一人でやって』と放り投げたくなってしまう衝動を感じてしまった事にもショックが大きかったんです。

でもそれでも、『ここまで母のために自分の生活を変え、自分の築いた家族の生活までも変えて同居しサポートしている私が踏みにじられる覚えはない!』『これ以上母だからといって自分や自分の家族を犠牲にしてサポートは出来ない』という怒り・哀しみ・絶望感も全く弱まることもなく、まさにカオスな心の状態でした。。。

そんな大きなカオスの状況でさえも、それから立ち去るんじゃなく、放り投げるでもなく、何とか乗り越えたい、と感じたり、どうやって乗り越えればいいのか、と疲弊するのは、

厄介であっても『家族』って、私にとっては、そうそう簡単には切り離せない、放り出せない存在だからなんでしょうね。

で、それは、今まで築かれてきた 『私ー実家』『私ー夫・子ども達』というそれぞれの『家族』との関係性が大きな決定要因になって『「厄介に感じてしまった家族」と繋がりつづけるのか』、繋がり続けるなら『その繋がりの濃淡はどの程度なのか』が決まってくるんだろうなって思ったんです。

そもそもそうゆう風に考えるようになったのは、カウンセリングを受けて、その後1、2日、静かに落ち着いて自分の状況を客観的にながめる時間と余裕を持てたからなんですが、そのカウンセリング後の数日の間に、ハッと納得したことがあったんです。

『そっか、どんなに近しい存在の母親とでも、「道徳」だの「倫理」だの「常識」だの言いたくなることでさえも、私の感じ方・考え方とは、違って当たり前なのか。』
『母が私と全く違う考えでいること/その考えを変えないこと自体じゃなく、違っちゃいけないと思い込んでいた私の考えが、私自身を苦しめてたのか。。。』

そうゆうふうに思えた時、私の気持ちのカオスがスーッと晴れて行ったんですよね。

『私の「常識」は、必ずしも母も同意する共通したものであるわけではない』
『共通しないことを残念だとか、悲しいとか、ムカつくだとか感じるのは、母のせいではなく、私自身が選んで感じている事。』
『その感情が不快で負担で嫌だと思ったら、私自身が手放せばいいだけ。』『母が変わらないから不快』なんじゃなく『私自身で、母が違うことを認める・母を変えようとすることをあきらめさえすればいいだけ』

でも、でも、今回の私の史上最大のカオスは、『晴れた』といってもこの段階で完全に晴れたわけではないんです。まだ、ひじょ~~にどす黒い感情が残っていたからです。

心の奥底には、『そんな常識的な道徳観も持たず、私や私の夫を尊重しないのに、ここまで私が自分や自分の家族の身を削って両親をサポートしつづけること。。。同じようにサポートするべきなのに全くしない兄に目をつぶっていること。。。そんなことしたくない!』
というものです。

感情のカオスの大嵐は鎮めることができたものの、まだザワザワと波打つ、そんなどす黒い感情が残っていたんです。

そこが、その記事のタイトルにもなっている『家族の繋がり』『家族になる意味』に関して私がふか~く理解することになるスタート地点でした。


■2.なぜ? どうやって? 個々の『人』が家族になる、家族として繋がるのか

『母と私は当然別の人間、「これだけは」と思う『常識だと思うような』点であっても意見の違いが出るのは仕方のない事実として受け止めるだけ』と理解できた段階で、私は『母に求める』ことから自分を解放することで、母への怒り・哀しみ・嫌悪感を手放すことができました。

でもそれと同時に、次に待っていたのは、『母と繋がり続けるかどうか』『繋がりを絶って、父のことも一切タッチせず、母が困ろうと、兄が変わらず無関心で母を助けなかろうと、私も無関心になり一切実家と関わることを止めるのか』といった問題に向き合あうことでした。

私には、『実家という家族』が、唯一両親をサポートしてきた私やそうさせてくれている夫に対して、あまりに都合の良い接し方をしているようにしか思えなかったんです。感謝されるどころか、何もしない兄を尊敬してほしいなどど母から要求され続けることに、私が耐え続ける理由はどこにあるのか、という黒いザワザワした感情が残っていました。

この問題に向き合う中で、私はこの記事のタイトルに関する『答え』を見つけることが出来たんです。

家族を厄介だと思う時でも、葛藤して簡単にはその繋がりを帳消しにしない/できない理由は、
私が私の実家という家族の中で、『同じ物を一緒に(同じ時間を共有して)食べる』という日々積み重ねてきた時間があるからだ、ということです。

その時間は、家族という人達の物理的距離も感情的距離も密にするものです。家族として繋がる/繋がっていく感覚は、無意識の内に、その時間を通して毎回積み上がってきていたものなんだと気づきました。

血縁関係の有無とか、同居やルームシェアであれ、一つ屋根の下で居住空間を共にしている、、、というこだけで、人はその相手を『家族』と認識するでしょうか、、、

『あの時こうしてくれた』『あの時こう言ってくれた』とか、、、助けてもらった、支えてもらったという出来事だけで、人はその相手を『家族』と認識するでしょうか、、、

血縁関係、居住空間の共有、助けてもらった、支えてもらった、というのは、相手を『家族』として認識するための決定要因ではなく、あくまでも付属的な要因なんじゃないでしょうかね。

作ったものか、買ったものかは問題じゃなく、一緒に作ったか、一緒に買ったかも問題じゃなく、
ただ、『同じ物を一緒に(同じ時間を共有して)食べる』という時間を日々積み重ねている相手のことこそを、人は『家族』と認識するんじゃないでしょうか、、、

作る / (出来合いのモノを)用意する
=相手を想っての行動
「あなたを気にかけています」というメッセージ

一緒に食べる
=相手を受け入れている行動
「あなたを受け入れています」というメッセージ

 

『同じ物を一緒に(同じ時間を共有して)食べる』っていう時間によって、私は、両親や兄と、家族として感情的に心理的に繋がってきたんだと、ハッキリ意識したんです。


今まで40数年生きてきて、いろんなライフステージを通過してきましたが、その多くの段階で、有難いことに『(与えられた元々の)家族に恵まれてきたんだなぁ』としみじみ振り返って気づくことができました。

だって、今私が『厄介な家族』を放り投げて繋がりを絶たずにに済んでいるのは、私が気づかずにこれまで実家から与えられてきた繋がりから、私が獲得してこられた価値観・道徳観・精神性のおかげだと思うから。

簡単な方法として、繋がりを絶ってしまうことを選択することで、私自身が自己嫌悪、罪悪感に飲み込まれてしまうだろうことは簡単に想像できるわけです。

でも、もがくことで、何とか繋がりを維持する/できる私自身の立ち位置を見出すことが出来た。

そのことに気付けるまで、実家という『厄介になってしまった家族』との繋がりを絶たずにいられたのは、
第一に、私を信じ、愛し続けてくれる夫と子ども達のおかげなのですが、さきほど気づいたとお伝えした、そもそもの、実家という『家族』の環境のおかげでもあった訳です。

日々、何気なく積み上げていってもらっていた『食事の時間』には、『あなたを気にかけています』『あなたを受け入れています』の想いが常に送られていたんでしょう。

だからこそ、あんなカオスの気持ちになって、繋がりを絶ってしまいたい、もうやっていけない、と思ってしまう程の状態になっても、相手が自分に何も与えてくれなくても、自分と共感してくれなくても、『家族』としてその現実を認め、相手が変わらないことを許せる気持ちになれたんじゃないか、って。

その強さ・愛情をくれていた存在の一つは、実家だった。そのことに気付いたから、怒りや悲しみだけでなく、感謝の気持ちも忘れずにいられる。。。と結論づけることが出来ました!

 ● 母が考えを変えないことも、実家の皆が都合よく私や私の家族を扱っいつづけても、『しょうがない』。

 ●
『私がそう感じる、捉えていることは良し悪しじゃなく「事実」』だし、『私がそう感じて/捉えて気分が良くないことを認めない、気づきもしない実家の皆も、また良し悪しじゃなくそれぞれの考えでいることも「事実」だ』

 ●
『それが分かれば、私自身の不快感、嫌悪感は、私自身が維持するか手放すかを決めるだけ≒嫌な感情・状態から抜け出すのは自分次第』
⇒ 『自分を大事にしたければ、■5.まとめべき』

 

という認識でいられるようになりました。

だからこそ、私が実家をサポートするのは、『相手のため』でもなく『相手から感謝されるため』でもない、私自身の願いのためだと捉えることになって実家と繋がり続けることを選択できました

私自身の願い=『もう相手から与えられるものがなくとも、心から手を差し出すことができる人でありたい』というものです。

 

■3.個々の他人同士を繋げる、家族を繋げ続ける、ものって何?
■4.家族になる/でいる 意味って何?

だから、とてもつもなくなが~くなってしまいましたが、私にとってのこの記事のタイトルに関する答えは次の通りです

『家族の繋がり』をつくったり、『家族の繋がり』の濃淡・性質を決めるもの
= 共有する食事の時間

⇒ 食事の内容(栄養のバランス)よりも 食事をする時間を共有する/出来る限り楽しくリラックスしたものにする、ということに注力することが大事。

『家族になる意味』
= 家族という『人と繋がり』を経験する
⇒ 『繋がり』を通してしか、自分自身がどんな人間なのか、どんな人間になりたいのか、どんな人間として関わる/関わらないのか、が試行錯誤・確立されない。

 

別の記事で家族とのお家ごはんに関する考え方について書きましたが、それとは別に、もう一つの視点として、ここで伝えさせていただいた私の気づきも加わって、

『家族との繋がり』『他人と繋がっていくこと』『どのように、どの程度繋がっていくのか』の質を決定する上でも、『一緒に食べる時間』を、家族、特に子ども達との時間、機会を、日常の中で大切に、大切にしていきたいと思いました(*^^*)

子ども達には、『家族』の中で、いっっっっっぱい、試行錯誤をしてもらい、彼ら自身が納得できるオリジナルな”自分像”を築き上げていってほしいものだと、感じたからです!

■5.まとめ

『一緒に食べる』の積み重ね

家族として結びついく感覚

記憶としては意識されていなかった感覚に気付く

相容れない相手を『家族』だから『家族』として許せる気持ちになれる
⇒ 自分を大事にする ≒ 他者の言動への不快な感情はコントロールできない/すべきでもないことと理解し、自分の不快な感情は「事実」「しかたない」と、自分自身で早く手放すこと。

繋がりを絶たずに可能な範囲で繋がり続けて助けることができる自分でいられる
※その強さ・愛情をくれていたのは、その相手=家族だと知っているから、「モヤモヤ」を感じてもなるべく早く手放し、代わりに「感謝の気持ち」を忘れずにいられる。

 

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